【資料】 沖縄国際大学教授(農業経済学専攻)来間泰男著
「農業・農協問題研究」第38号(08年2月)ベトナム南部農業視察報告より
2.熱帯と亜熱帯、そして沖縄農業
2)沖縄農業の困惑
沖縄農業にとっての問題は、亜熱帯は中途半端だということである。沖縄農業は、温帯農業と熱帯農業の組み合わせで成り立っている。冬春季に温帯作物を栽培するが、それは夏秋季には栽培できない。その夏秋季には、したがって熱帯作物を植えることになる。サトウキビ、パイナップル、マンゴーなどである。しかし、これらは永年性で、沖縄なりに「寒い」冬を越さねばならない。その生産効率は熱帯に及ばない。
沖縄での温帯作物は、「本当の温帯」が寒い季節、つまり端境期をねらって生産し、出荷する。これは、「本当の温帯」が暖かくなるまでの短い期間のみ有効である。幸い、温帯作物には長い栽培期間を要しないものが少なくない。沖縄での熱帯作物栽培は、全期間を通して、熱帯にはかなわない。農作物に国境がなくなりつつある今日では、熱帯作物で勝負するという考え方が浮かぶが、そういうものはない。亜熱帯で栽培したら、温帯よりも熱帯よりも、より多く生産され、より良い品質のものが生産できるというものは、ない。
3)地産地消
人は「地産地消」などと言い、その土地の産物で暮らすことを理想というが、これは温帯的発想であって、世界には通用しない。沖縄ではりんごや柿やみかんや梨やぶどうは食べずに、マンゴーやパパイヤを食べろといわれても、夏場の野菜はゴーヤ、へちま、とうがん、きゅうりで満足しろといわれても、それはできない。広域の流通・交易があってはじめて豊かな生活は成り立つのである。心がけとしての「地産地消」は尊いが、世界にはそれができない地域がいくらでもある。
【批判】
「亜熱帯は中途半端」は、流通体系や農協組織の現状を肯定した中で、現在ある農産物だけを前提にして成立する考えである。沖縄や亜熱帯地域にも多くの原種や自生種があり、それを品種改良すれば熱帯でも温帯でも育つということ。原種を保護して品種改良するという農業技術を大事にしない日本人が多く、その範疇でしかものを考えられないからそのような発言が出る。沖縄農業は、指摘された他に不利な条件を背負っているので、熱帯や温帯地域と同じ作物の生産だけを考えれば対抗できないことは当然であるが、植物で捕らえると沖縄は「熱帯の北限、温帯の南限、モンスーンの東北限」という地域で世界中のほとんどの植物を自然環境の中で育てられるという世界唯一の地域特性を持っているので、沖縄にある原種や自生種の品種改良を行えば、どの地帯にも高額で苗を販売でき、また農業面での貢献も可能である。
「亜熱帯で栽培したら、略、より良い品質のものが生産できるというものは、ない」は、品種改良という技術分野を知らないこと、発想の欠如によるもの。沖縄の特徴として、@世界にある柑橘類の原種の半数以上が沖縄本島に自生しており、これは世界中どこにもない重要なこと、A「沖縄といえばハイビスカス」という言葉は定着しているが、ほとんどがハワイ産であり、今帰仁村で発見されたハイビスカスの種を使ってオランダにおけるチューリップ一大産地化の可能性を秘めている。また、日本の原種のサクユリがカサブランカとして逆輸入されているように、無知によって資源を無駄にし、欧米に比べ農業の基礎研究が後れているために、沖縄に自生する原種の豊富さに目が向けられていないという現実がある。
どのような沖縄農業を展望する事が学者に求められる学問。上記の発言は、品種改良分野の認識不足と亜熱帯は両方できるという積極的な発想の欠如によるもので、農業の専門家と呼ぶに相応しくない。
「地産地消は温帯的発想で、世界に通用しない」と「地産地消は尊いが、世界にはできない地域がいくらでもある」は、地産地消のどこが温帯の発想なのかという根拠もなく、地産地消を実現している地域は世界にいくらでもあることを知らないこと、都市という学問領域を余りにも知らなすぎる考えである。そのため、ここで都市論を少し講釈する。
都市構造は大きく2つに分けられる。日本や米国のような一極集中型都市形成と、欧州のような小規模分散型都市形成がある。前者は近年拡大してきた都市に広く採用されているが、その理由は、米国の世界戦略・石油戦略、野放しの自由主義経済、制限のない競争社会が世界で優位性を確保してきたためである。このような戦略を実現するには、高度生産機能の集約、大量消費と大量廃棄、単一品種生産拠点の形成、国際基準の統一、輸送経路の確保、広域流通の形成等が不可欠で、結局のところ先進諸国を中心にした一部の人間が利益を得るための仕掛が必要だった。この仕掛けによって世界的に起こったのは、貧困、貧困による戦争、収入格差と地域間格差の拡大、熱帯雨林の破壊、自然破壊等である。米国経済に追随した日本は、都市形成において一極集中型を選択せざるを得なかったため、広大な国土を有する米国にはない農村の疲弊を生んでいる。
一極集中型を簡単にいうと、都市集積拡大や人口・労働力集中が進むと土地の高度利用を図り、自然を破壊しながら収容能力を高めていくため、都市では高層ビルが建設されるが、農村は労働力を失うという仕組み。
一方後者は、都市集積拡大、人口・労働力集中が進んでも土地の高度利用を図らず、一定規模を超えると新都心を建設する。新旧都市には三次産業中心の都心部、住宅地中心の都市部、工場等二次産業地帯の都市近郊部、その外周に農村地帯が広がっており、職住近接と地産地消が実現されている。農家は都市の広場で市を開き消費者に直売するため、消費者は余計な流通コストが掛かっていない安価で安心で安全な食材を得、都市の商店も活気に満ちた経営を実現している。これはユートピアではなく、紛れもない欧州都市の現実です。1900年初期に都市論の中で議論がされたもので、地産地消という言葉はなかったが、職住近接を目した都市論の中で明確に位置づけされている論理である。
米国経済も過渡期にあることを多くの経済学者が指摘しているところであるが、沖縄の単独州が話題になっている昨今において、沖縄農業の可能性を否定するような「地産地消は温帯の発想で、世界に通用しない」や「地産地消は尊いが、世界にはできない地域がいくらでもある」という根拠のない無責任な発言は無知を公言するものである。
「広域流通があってはじめて豊かな生活は成り立つ」は、これ自体正しいとも間違っているとも言えないが、あたかもいつでも高級品を得るのが豊かだと賛美するようなもの。日常の生活で広域流通の物品を湯水のように使っているのは一部の富豪層だけで、一般の人はその恩恵を一部受けているだけである。無論我々の身の回りには広域流通を経た安い物品が大多数を占めているが、それが豊かとは限らない。食材については、昨今社会問題化している広域流通に問題が多く、安心、安全、新鮮、旬ものを実現する地産地消の方が欧州の小都市の例を見ても分かるように豊かに決まっている。広域流通の恩恵を消費者が選択すればよいが、選択できないほど広域流通が蔓延し、組織化しているのが現状で、農協の流通体系や広域流通による農村の疲弊等の矛盾を農業専門家である学者が指摘できないのは情けない話である。
以上が資料に対する私の批判です。彼はパネラーとして米軍基地返還に関し「経済的に良くなるから撤去させるのではなく、撤去されれば経済的にレベルダウンするが、基地は撤去すべきだ」と述べている。返還されても現在の軍関連経済効果以上の経済効果は望めないといっている。確かに短期的・金銭的には下降するだろうが、長期的に豊かさの質・価値観が変わればそうとも言えない。彼の問題点は、学問も政治も目先のことを動かしているに過ぎないところだ。日本の大学・政府が基礎研究を疎かにし、狭い領域の専門家ばかり育てているが、彼もその範疇から脱していない。彼の農業に関する専門領域は広くはなく、従ってビジョンに掛ける。
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